11『亡命計画』



 明るい計画は白昼の日ざしの中で立てられる。
 対して、暗い計画は闇夜の影の中で進められる。

 それぞれの思惑と陰謀、そして利害が絡まりあう計画。
 だが、暗闇の中、それらの歯車の全てが噛み合っている事を確かめる術はない。



 暗い研究室の一角に明かりがあった。
 一つの机と、その椅子に座る人物だけがそれに照らし出され、他の部分はそこに光を奪われたかのように暗くなっている。
 光に照らし出されている人物、ダクレーは先程とり、今整理し終わった“滅びの魔力”のデータをファイルに入れると、ぱたりと閉じた。
 そのタイミングを見計らったように、彼の背後から声が掛けられる。

「で、どうなんだ? “滅びの魔力”とやらの強さは」
「……全く素晴らしいですよ。それだけで十分な手土産になるでしょう」

 ダクレーは振り返らずに答えた。振り返っても無駄だからだ。
 今、彼に話し掛けている人物とは何度もコンタクトをとっているが、一度も姿を見たことはない。常にあちらから話し掛けてくるので、こちらから連絡する方法も知らなかった。
 最近、ダクレーはすっかり彼の姿を見ることを諦め、“幽霊”とでも話しているのだという割り切った気持ちで彼と接することにしていた。

「おいおい、それだけで満足してもらっちゃ、“こちら”としては困るんだがなぁ」

 “幽霊”にしては軽薄な口調だが、ダクレーは、いつもこの声の裏に圧倒的な迫力を感じている。
 その証拠に、ダクレーが“幽霊”と接している間は、あの下卑た物言いがすっかり影を潜めてしまっている。

「分かっていますよ。“そちら”の我々に対する待遇は、我々が見せる“誠意”と比例する。我々の値段を高めるためにも、是非とも“計画”は成功させなければなりません」
「分かってりゃいいんだ。早いとこ頼むぜ、ダクレーちゃんよ。こちとらこんなつまらねぇ仕事はとっとと片付けてぇんだ」

 ふざけているようではあるが、明らかにダクレーに計画の発動を強く要求していた。
 しかしダクレーは、ごくりと息をのみ、答えた。

「時期がくれば、すぐにでも計画は始動させます。……余り急かさないで頂きたい。私はつまらない焦りで事を仕損じたくはないのです」

 数瞬の沈黙が、ダクレー一人きりの研究室を支配する。

「……悪かったよ。もう急かしたりしねぇから、ゆっくり確実にやってくれや」

 そう言った後、“幽霊”の気配が消えた。今まで気配を感じていた訳ではない。今消えたことで始めて気配の存在に気が付いたのだ。
 ダクレーは、深い溜め息を付くと、そのファイルをもって立ち上がった。


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 そこは、ある会議室風の部屋だった。部屋の真ん中に長テーブルが置かれ、その周りに椅子が配置されている。扉も窓もない。入り口はたった一つの移動用魔法陣で、許可された者以外は例え魔導研究所所長といえども入ることは出来ない。
 その会議机に配置された椅子は、後一つを除いて全て埋まっていた。現在はその一名をまっている状況だ。

 コツコツコツコツ
 一番奥の座席に座っている開発部長兼魔導士団長・ディオスカスは空いている座席を見つめ、一定のリズムで机を指で叩いている。この中では一番格上であるディオスカスがこの様子なので、他の者も口を開いたりすることが出来ないでいた。
 ふと、その音が止んだ。

「遅いぞ、ダクレー=バルド−。紫の刻(午後9時)には来るように言ったはずだが?」
「遅くなってしまって申し訳ありませんねェ。ちょっとデータの整理に手間取ってしまいまして」

 謝罪はしているものの、あまり悪びれた様子がない事に、ディオスカスは眉をぴくりと動かす。しかし、この男に関していえば、どんな事をいっても腹が立つので、いちいちそれを咎めることはしなくなっていた。
 怒りを押さえるために、少し深く息をした後、ディオスカスはダクレーに、席に着くように促した。

「例の“滅びの魔力”の奪取は成功しそうなのか?」
「ええ、魔力の数値が予想より大きくなっていますが、まだまだ押え込める範囲ですね。下手に刺激を与えず、暴走させないように注意すれば十分に運び出すことは可能でしょうな」

 そう答え、ダクレーは資料をはさんでいるファイルをディオスカスに渡した。
 ディオスカスは、そのファイルの資料にざっと目を通しながら話を進める。

「ふむ……、では“滅びの魔力”の運搬に使う魔導レーサーの開発は進んでいるのか?」

 この質問には同席していたうちの一人が答える。

「はっ。本日主任が帰ってきてから急ピッチで進められています。旅行先で何かの閃きが得られたようで、近日完成の目処さえ立ちました」

 その報告に、ディオスカスは満足そうに頷き、更に続けた。

「結構。……では、邪魔者の対応についてはどうだ?」
「それについては一つ朗報が」

 今度挙手したのはディオスカスの隣に座っていた魔導士養成学校長・ドミーニクだった。彼は魔導士団の副団長も兼任している。

「なんだ、ドミーニク?」
「今回の計画に関して、最も大きな障害になると思われた、カルク=ジーマンとマーシア=ミスターシャ両教師、そしてクリン=クラン教師が研究所を出奔した可能性があります」
「……どう言うことだ?」

 意外そうな顔をして、ディオスカスが聞き返した。
 その反応を待っていたかのように、表情を輝かせ、ドミーニクは答えた。

「正確には、ファトルエルの大会が終わった後、ファトルエルで再会したファルガール=カーン元教師と旅に出てしまったようです。今日、帰ってきたのはカーエス=ルジュリスと例の少女だけで、他は3名の客人を連れていました。出奔の件は正式に認められた訳ではないので、まだ戻ってくる可能性も捨て切れませんが、おそらく計画の発動には間に合わないかと」
「ほう……ファルガール=カーンか、懐かしい名前だな。昔は邪魔で仕方がなかったが、今回ばかりはいい働きをしてくれたようだな」

 十三年前、魔導学校の魔導士の養成法を尽く無視したファルガールは、ディオスカスにとって疎ましい存在でしかなかった。だから多少手荒な真似をしてでもファルガールを魔導学校から追い出しに掛かったのである。
 しかし、今回は“滅びの魔力”の保持者であるフィラレスを庇い、自分達に立ち向かって来ることが予想された、魔導研究所最強の魔導士の内の二人に数えられるであろうマーシアとカルク、そしてファトルエルの大会の優勝候補の一角にまで挙げられたクリン=クランが、ファトルエルでのファルガールとの再会によって闘わずして排除できた。
 特に“完壁”と呼ばれるカルクは守りに関しては、間違いなく世界一の魔導士である。それをどう破るか、それがディオスカスの大きな悩みの一つだったのだ。その心配が消えたのはまさに嬉しい誤算だ。
 まさに朗報とでもいうべきドミーニクの報告に、ディオスカスの口元には自然と笑みがこぼれる。

「客人とやらはどうだ? あの二人と友好関係があるのだ。その客人も我らの味方ではあるまい」
「はっ。ざっと調べましたところ、めぼしいと見られるのはカンファータ魔導騎士団副団長であるジェシカ=ランスリアだけです。何故ここにいるのかは不明ですが。それと、客人のうちの一人はファルガール=カーンの弟子と称しておりました」
「ふむ……、確かに魔導騎士が単独でここに来るのは可笑しいな。それにファルガール=カーンの弟子か……戦力的には量りにくいが、まさかカルク=ジーマンやマーシア=ミスターシャより強いということはあるまい」

 ディオスカスはエンペルファータの魔導士団長でもある。つまり、戦闘能力のある魔導士の大半を掌握していることになるのだ。すでに、ディオスカスは根回しを終え、その魔導士達のほとんどの“計画”への協力を取り付けていた。
 これで余程の魔導士が来ない限り、ディオスカスは“計画”を妨害する者達の戦力を遥かに上回るそれを確保した事になる。
 そして、長い時をかけた“計画”の準備も整いつつある。

 時は熟した。今しかない。
 ディオスカスは、そう自分に心の中で言い聞かせた。
 彼はダクレーのファイルをパタンと閉じると、席から立ち上がった。そして、会議机の席に着いている者達をゆっくりと見回すと、静かに語り始める。

「それぞれの準備は整いつつある。……そろそろ具体的な作戦を練りはじめよう。ウォンリルグへの亡命計画を」

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